日常茶飯本

“暮らしの本”愛好家の日記

暮らしと結びついた、美しい雑誌。/暮しの手帖 第4世紀76号

暮しの手帖 第4世紀76号

暮しの手帖 第4世紀76号

 

 濃密で美しい記事の、向こう側。

今号の『暮しの手帖』。ぱらぱらっと読んで「ただごとじゃない」感じがして驚きました。

暮しの手帖』は、いつも書店かネットでチェックして、気になる記事があれば購入する雑誌のひとつです。

でも、この76号、すみずみまで気合いが入っているというか、一つひとつの記事に、紙面の作り手の思い入れのようなもの、気迫が感じられるような印象を受けたのです。もちろん、『暮しの手帖』は、“雑誌の良心”ともいうべき、毎号ていねいな作りの雑誌なのですが、いつも以上にそういう印象を受けたということで。

 

巻頭の記事は「有元葉子さんのシンプルイタリアン」意外なことに、『暮しの手帖』に有元さんが登場されるのは初めてだそう。

トップの料理がインパクト充分です。「生野菜と塩とオリーブ油」(!)

「野菜を丸ごと皿に盛り、テーブルで各々切っていただきます」と…。イタリア中部の野菜の食べ方だそうなのですが「野菜を丸ごと供することで、口に入れる瞬間までフレッシュな香り、食感が保たれ、驚くほどたくさんの野菜がいただけます」との説明。このメニュー、コロンブスの卵的なメニュウというか、すがすがしく一本とられた感じでした。さっそく真似したいです。

ほかにも「フェンネルとオレンジのサラダ」「サーモンのクロスティー二」「肉巻き夏野菜のトマト煮込み」などなど、美味しそうなレシピが満載。高橋みどりさんのスタイリングもいいですね。有元さんの料理が持つ絵画性が、もっとも引き立つようにビジュアルを作られてるなぁと思いました。写真は日置武晴さん。最強の組み合わせというべきでしょうか。

 

そして、有元さんの料理の双璧ともいえる大きな記事が「かんたんでおしゃれなギャザースカート」でした。

今をときめくアパレルブランド「ヤエカ」の井出恭子さんのデザインで、こちらの方の登場にもびっくりしました。おそらく「暮しの手帖」だからこそ、井出さんは協力されたように思います。他の雑誌では、なかなか実現しない企画ではないかなぁと。

そして、ギャザースカートって、とにかく生地がたっぷり必要なので(この記事のスカートの一つは4m20cm必要!)、つまりそれなりにコストもかかり、そして直線縫いとはいえ手間も時間もかかり、自分で作るのには躊躇するアイテムなのですが…しかし…あまりに素敵な紙面にうっとり。「それでも、作ってみたい!」 と思わせる、魅力充分な記事でした。

 

ほかにも「心に残る、わたしの大切な絵本」の記事も充実の内容で、何度も読み返したいと思い、そして紹介されている絵本もまた、幾つも読みたくなりました。

前述の井出恭子さんが挙げられている『まっくろネリノ』(「となりのトトロ」のまっくろくろすけのモデルとも言われてますね)や、作家の落合恵子さんが選んだルピナスさん』(絵も文章も、とびきり美しいです。掛川恭子さんの訳は本当に素晴らしい!) 、ブルーナうさこちゃんや、ちびくろさんぼ、ちいさいおうち…個人的にも大好きな絵本がたくさん出てきて、選者の方々と、感動を分かち合えたような気持ちになりました。

 

随筆も、じっくり読み込みたいものばかりで、特に登山家の田部井淳子さんの「歩くことが生きること」が、心に深く沈みました。「どんな山を登るときも、一歩一歩です」…人生に裏打ちされた言葉は、その人にしか出せない強さをもって人に届きますね。湯浅誠さんのエッセイも、これと同じ意味合いで、読めて良かったです。ちなみに、74号に掲載されていた脚本家の木皿泉さんの文章も、とても素敵でした。随筆のラインナップも『暮しの手帖』でなければ読めないものが、多々あるように思います。

 

さて、『暮らしの手帖』といえば、ライフスタイル誌の元祖のような存在。

私自身、「雑誌の原体験」はここにあります。まだ小学生だったころ、「一万円のウエディングドレス」を特集した号(ちなみに1986年第3世紀3号)に魅了されたのが始まりでした。花嫁さんが、手作りのウェディングドレスを作るという記事がトップで、真っ白なサテンの上着に、一つひとつパールを縫い付けていく、そのまばゆいイメージを今でもよく覚えています。のちに古本屋で探して手に入れ、今もこの号は、手元に残してあります。

 

暮しの手帖の名物編集長といえば、まず、創刊から30年間、編集長を務めた花森安治

花森安治のデザイン』のあとがき(当時の暮しの手帖社社主の大橋鎮子さんが書かれています)によると、花森氏はつねづね「暮しと結びついた美しさがほんとうの美しさ」ということを言っていたそうです。この言葉を体現するような雑誌が、創刊から67年を迎える今も、きちんと存在することがすごいなあと。そう思えた今号でした。 

花森安治のデザイン

花森安治のデザイン

 

 そして、今号を読んだ後に知ったのですが、もう一人の名物編集長であった松浦弥太郎さんも、前号で編集の現場から離れられたとのこと。つまり、この76号は『暮しの手帖』が、新たな局面を迎えた号だったということでした。

あらためてスタートをきった『暮しの手帖』が、これまでの良さを失わず、そして“『暮しの手帖』らしさを保つ”という、ある種の縛りのなかで、いきいきとした記事を作られたことに、一読者として深い喜びを感じました。

 

また、大橋鎮子さんの『「暮しの手帖」とわたし』のなかでは、シャンソン歌手・随筆家の石井好子さんが、暮しの手帖社についてこう書いています。「初めて行ったときはびっくりしました。会社というより「仕事をしているおうち」、という感じがして。(中略)お台所やテーブルがある広い部屋では、お昼になればご飯を作って食べているし、コックさんに作ってもらっている人もいる。家庭的であたたかくて」と。 

「暮しの手帖」とわたし

「暮しの手帖」とわたし

 

今の編集部が、当時と全く同じというわけにはいかないでしょうが、きっとチームワークという点では、今なお強い結束をもって作られているのではないかなぁと、今号を読んで想像しました。

 

この76号のように、「暮しと結びついた美しさ」と「今の時代をとらえる」という難しい両立を、これからも保っていかれることを願ってやみません。とても美しい、美しい雑誌でした。

 

 

愛すべき偉人(あるいは変人)たちの日常生活について。/『天才たちの日課ークリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』

天才たちの日課  クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々

天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々

 

二度寝と裸とコーヒーと。

 

「タイトル買い」して、何気なく読み始めた本書。2人目に掲載されていた、画家のフランシス・ベーコンのエピソードに、まず持って行かれました。

不眠症に苦しんでいたベーコンは「ベッドに入る前には、リラックスするために古い料理本を繰り返し読んだ」そう。小難しい法律の本や科学本とか、長編小説などではなく、古い料理本というのが、なんだかとぼけてていいなぁと。

 

この本では、世界の著名な作家、芸術家、音楽家、思想家、学者など161人を取り上げて、それぞれの仕事、食事、睡眠、趣味、人づきあいなど、どんな暮らしをしていたかを紹介しています。

 それだけ多くの人々のエピソードをぎゅっと一冊にまとめているわけで、一人ひとりの紹介はごく短いのですが、そのわずかな文章のなかに垣間見える、その人の生活のディテール、嗜好や小さなクセなどをどんどん読み進めていくと、自分自身の日々の暮らしが、また違った色合いに見えてくるような仕掛けになっている気がします。

 

帯には、ヘミングウェイフロイトピカソなど、超有名人のエピソードが使われていたのですが(その中では、ストラヴィンスキーの「作曲に行き詰まると三点倒立した」というのが面白かった)、私が好きなのは、もうちょっとマニアックな人々の、人間くさい、あるいはヘンテコなものたち。

たとえば「太陽がいっぱい」で知られる作家のパトリシア・ハイスミスは、ロンドンのあるパーティーに「レタス一個と百匹のカタツムリ」を入れた巨大なハンドバッグを持って登場したそう。サスペンス作家は、バッグの中身も緊張感漂ってます(本人は「カタツムリを見るとなぜか落ちつくの)とコメント)。

あるいは、歴史学者のシラーは腐ったリンゴをたくさん、仕事部屋の引き出しの中に入れていたとか(リンゴが腐敗していくにおいが執筆を促す刺激として必要と考えていたそう。へ、変人…)。

 

「衣」での個人的なナンバーワンは音楽家のエリック・サティ。ささやかな遺産を相続したサティは、いずれも栗色のビロード地を使った、全く同じスーツと山高帽を一ダースずつ買ったそう。地元の人々によって、ついたあだ名が「ビロードの紳士」。優雅なのび太って感じですね(いつも同じ服ってことで)。

 

「食」系で気になったのは、映画監督のベルイマンの昼食。いつも同じもので、こってりした「サワーミルクを泡立てたようなもの」にストロベリージャム。それを変わったベビーフードのようににコーンフレークといっしょに食べたそう。昼食がこれって、かなりの甘党ですね。

美味しそうだったのは、画家のジョージア・オキーフの朝食でした。

「ガーリックオイルを使ったチリコンカルネ、半熟卵かスクランブルエッグ、風味のよいジャムとパン、フルーツ、コーヒーか紅茶」。エル・デコあたりに登場しそうな、美しいビジュアルが目に浮かぶようです。

 

 飲み物に関しては、1.コーヒー 2.酒類 3.紅茶の順くらいで常飲している人が多いという印象でした。コーヒーが圧倒的に多かったですね(「紅茶にマドレーヌをひたす」シーンから始まる『失われた時を求めて』で有名なプルーストですら、自身はコーヒー党だったようです)。

 

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

 

 

 

そして睡眠について。二度寝、もしくは昼寝をしている人の多いこと! これは、朝型生活の人に多かったです。

天才にはショートスリーパーだけでなく、もちろんロングスリーパーもいるわけですから(むしろ後者の方がやや多い気もします)当然といえば当然かもしれませんが。

超早起きしても、眠くなったらどこかでまた寝れば良い。っていうのは、睡眠時間における柔軟な発想で素敵だなあと思いました。

自由自在に実行するのは難しいかもしれませんが、工夫することはできそうです。少なくとも「眠りに罪悪感を抱かない」というのは、良質な睡眠のための必須事項なのかもしれないですね。

 

そして、この本で最も衝撃を受けたのは、全裸、またはパンツ一丁で仕事をしている人が結構いることベンジャミン・フランクリン、ジョン・チーバーなど)! 裸でないにせよ、風呂上がりにバスローブ姿で執筆している作家さんなども数名。開放感が良いのでしょうか? 寒がりの私には無理な芸当です…(夏でも)。そういえば村上春樹のエッセイにも「全裸主婦」って出てきた記憶がありますが。江古田ちゃん(漫画)とかね。

 

何というか、ビジネス書や自己啓発系の本で「習慣の重要性」について説かれても、ちっとも頭に入ってこないのに、この本は実にワクワクと「天才たちの習慣」について語りかけてくれます。

そして、サブタイトルにもあるように、クリエイティブな人々の暮らしは、必ずしも模範的なものばかりでなく、それどころか「人間としてどうよ、といいたくなる人も少なくない」(訳者あとがきより)とあって、思わず笑ってしまいました。そんな「天才たち」の日常に数多く触れることで、「よしっ」と、やる気がでたり、あるいは気持ちがフッと楽になります。

 

上記に挙げた通り、個人のエピソードも素晴らしく面白い本書ですが、この「たくさんの人々のバリエーションを一気に読ませる」というこの本の作りそのものが、ある種の人間讃歌であるように思えました。

161人のうち、好ましい人間のふだんの姿に出会えるこの本を、これからも幾度も読み返すことでしょう…たとえそれが「ダメ人間」だとしてもね!

 

“お片付けテンション”が上がる本。/『暮らしを、整える』

暮らしを、整える: 部屋と頭と心のお片づけ (私のカントリー別冊)

暮らしを、整える: 部屋と頭と心のお片づけ (私のカントリー別冊)

 

「片付けたい」気持ちに、追い風をくれる言葉。

この本、まず、第一章の冒頭の文章が秀逸です。 

「家具や器やファブリックや小さな雑貨。

これまで、私たちは足し算で暮らしの豊かさをつくってきました。

でも、本当に心満たされる世界は、今までの数式からは導き出せない…。

どこかに何かを買いに行かなくても、いらないものを処分して、

残った物を整えれば、新しい世界が始まる。

その行程が片付けです。」

 

なるほど、そうだなあ〜と膝を打つ感じ。そして、どことなく詩的です。

この文章、おそらく企画・編集の一田憲子さんという方が書かれたものだと思うのですが、いま「暮らし系」の本の作り手のなかで、時代にフィットしてる方の一人じゃないかなと、個人的には思います(ちなみに「大人になったら、着たい服」の企画もされてます)。奥付を見て、一田憲子さんのクレジットがあると、だいたい面白いので。

 

さて、今、書店の暮らしの本コーナーに行くと、本当に「片付け、整理、収納」の本が花盛りです。ここ数年、ずっとそのブームが続いているのには、いくつもの要因があると思いますが、大きな理由としては、やはり物があふれる時代であること、そしてそれを必ずしも良しとしない(少なくとも野放しにしておくのは、いささか気が咎める)という空気なのではないかと思います。特に震災後、それが顕著になっているように感じることがよくあります。

 

で、多くの人が片付けの本をどんなときに読むのかというと「お片づけ気分」を上げたいときではないでしょうか。もちろんハウツー的な、「整理・収納の本」を読む場合はそのテクニック、効率の良い片付けの方法を知りたい、という場合もあると思うのですが、この「暮らしを、整える」のような、いかにもおしゃれな印象のお片づけ本を手にするとき、私たちが求めるのは、はたして純粋な「片付けのレシピ」なのでしょうか。

 

たとえば「料理」とか「ファッション」の本を読む場合は、その本を「読むことそのもの」が純粋な楽しみ、もしくは、先ほど挙げたように、アイデアを得るためお勉強的に読む、という方が多数派だと思うのですが(いわゆる「指南本」ですね)、「片付け」の本に関しては、「さあ、今から片付けるぞー!」と、“お片づけテンション”をあげるために読む、という人の数が、かなり多い気がします。

片付けって結局のところ、物を家のどこに置くのか決めて、そこに戻すこと(要は“物の住所を決める”ということ)ですよね。それに尽きます。にも関わらず、永遠のテーマとして、幾度も雑誌や本などで取り上げられるのは、「片付ける」ために「何か背中を押してくれるもの」が必要とされるから、だと思えてなりません。だから定期的に「断捨離」とか「ときめくお片づけ」みたいな流行ワードも出てくるのでしょう。

 

片付けが苦手な人(私もその一人です…)にとっては、整理や収納のテクニックどうこうよりも、まず片付け(という億劫なこと)を、何とか「楽しみ」に転化することが必要。そして、そのためには、ちょっとしたスパイスが必要だと思うのです。そして、この本はその「スパイス」にぴったり。

色々な人が出てくるのもいいですね。オムニバス的な作りだと、この人のやり方ならできそう!とか、素敵だな〜と思える人に当たれる率が上がります。

たとえば「出しっぱなしでも、カッコよければそれでいい」というのは雑貨店「ジャンティーク」を営む内田文郁さん。何て頼もしいお言葉でしょうか(ほんと、とても格好いいお部屋でした。計算しつくされた無造作感というか)。

 

とはいえ、この本に載っている片付けのアイデアには、実際に役立つ有用なものも数多く散りばめられており、たとえば「引き出しは、モノではなくコトで分類する」「調味料はミニサイズにするなど、ライフスタイルの変化により必要なサイズにシフトする」など、トップの前原なぎささんの「ものを増やさない10の法則」の幾つかなんかは、とても参考になりました。「収納は分析から始まる」という考えに裏付けされた法則は、とても合理的です。

 

そして「暮らしを整えることは、心を整えること」という、この本の背骨的な言葉のあるページは、何度も読み返しています。「くるみの木」のオーナーの石村由起子さんの言葉ですが、石村さんの一日は、真っ白なふきんを、一枚ずつ丁寧にたたむことから始まるそう。

「片付けは、一歩先の暮らしを変える力をもっています」という言葉もいいですね。こういった暮らしの名言を時々思い返して、良い言葉だなあ、と味わいながら、私も日々、洗濯物をたたんでいます。

 

一冊の本で、一通りの片付けマニュアルを知りたい…という方には不向きかもしれませんが、片付けのきっかけやヒント、そしてやる気をもらいたい!という人には、ぴったりの一冊だと思います。

 

ほかにも、“お片付けテンション”が上がる、お気に入りの本を2冊ほど。

身軽に暮らす ~もの・家・仕事、40代からの整理術 (COMODOライフブック)

身軽に暮らす ~もの・家・仕事、40代からの整理術 (COMODOライフブック)

 

 40代〜70代の個性豊かな方々が「身軽に暮らす」ために、どうすればいいかを探りながら進んで来た、それぞれの軌跡が読める本です。特に、編集者の山崎陽子さんの

「私ね、すてきなものは一生買い続けると思うんです。一方で、ものを増やしたくない、減らしたいという思いもある。だからひとつ買うためには、ふたつ手放すぐらいのつもりでいます」

という、静かな決意表明のような言葉に、はっとさせられました。

 

シンプルに暮らす整理術 (だいわ文庫)

シンプルに暮らす整理術 (だいわ文庫)

 

整理収納が大好きで、“片づけを考えるだけでウキウキ、わくわくする!”というクニエダヤスエさんの本。この本を読むと、まるでクニエダさんが憑依したような(?)気持ちになって、さくさくお片づけがすすみます。この本の初出は2004年ですが、今も古びないテーブルコーディネートのアイデアを読む楽しみも。 

 

ここしばらくのあいだ、楽しみながらお片づけ生活を続けていられるのは、これらの本たちのおかげかも、と、しみじみ思う春の朝でした。 

 

「日常茶飯事こそ、人生の大事」/『石井桃子のことば』

 

石井桃子のことば (とんぼの本)

石井桃子のことば (とんぼの本)

 

 朝起きたとき、いつも希望に満ちていられるように。

心の優しい、思慮深い友人のような本です。

ごく控えめなたたずまい。しかし、偉大な本です。

もし、“最後の晩餐”、ならぬ、“最後の読書”の一冊を選ぶとすれば、2015年4月16日現在、私は、この本を手にとるように思います。

 

宮崎駿さんは著書『本へのとびら』の中で、「石井桃子さんは別格」と語っています。「子どもたちの本にとって、なんというか尊敬せざるを得ない」人であると。

 

本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)

本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)

 

 

おそらく日本語を母国語とする“読書家”のうち、結構なの割合の方が、この『石井桃子のことば』を読みすすめるうちに、自らの「読書の原点」を見出すのではないでしょうか。

もちろん、「全く接点がない」と言われる本読みの方もおられるでしょう。しかし、もし数珠つなぎ式にいくならば、日本の読書家たちは、どこかでこの「石井桃子」という人へと、たどり着くように思えるのです。

 

と、前置きがいささか仰々しくなってしまいましたが、その原点というのは、いずれも愛らしい本たち。

『ちいさなうさこちゃん』『くまのプーさん』『ピーター・ラビットのおはなし』『ちいさいおうち』…この『石井桃子のことば』を読むと、石井桃子さんが翻訳を手がけた子どもの本の数々は、さらに枝葉を広げ、多くの文学者やクリエイター、たとえば、先に挙げた宮崎駿さんにも、決定的な影響を与えたのではないかと思えます。

 

全著作リストが掲載されており、これだけでも良質な絵本&児童文学のブックガイド、といえる素晴らしさです。読んでいるだけで、こんなに幸せな気持ちになれるなんて、本が好きで良かったなあ、と思える、本当に丁寧なつくりの一冊なのです。この本を含む、新潮社の「とんぼの本」というシリーズの名前は「視野を広く持ちたい」という思いから名付けられたそうですが、この一冊の本のなかに、どれだけ広い世界があることでしょうか。

 

この本の発行は2014年5月とまだ新しいのですが、これまで石井桃子さんのまとまった本が一冊も出ていなかった(!)というのが不思議な気がするほどの、偉大な仕事の数々が紹介されています。

しかし、それはまた「名が残るのではなく、本が残ってくれればいい」という、生前の言葉通りの生き方をされたのだなぁ、とも。

 

石井桃子さんの、珠玉のことばの数々、ゆっくり噛みしめたくて、書き出してみました。

 

「子どもたちよ 子ども時代をしっかりとたのしんでください。

おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の

「あなた」です。」

 

「私が子供の本にひかれるのは、どこの国の人にも通じる普遍性があることです。きっと

時代の風潮に影響されない根本のところで書かれているからなのでしょう。」

 

「本は友だち。一生の友だち。

子ども時代に友だちになる本、そして大人になって友だちになる本。

本の友だちは、一生その人と共にある。こうして生涯 話しあえる本と出あえた人は、

仕あわせである。」

 

いずれも、しびれます。特に、「本は友だち」の言葉は、ずっと大事に持っていたいことばだなあと思いました。そしてもう一つ、個人的に最もすとん、ときた言葉は次のものです。

 

「私は、日常茶飯事を超えて、思想とかテーマとかいうものでは書けない人間なんですよ。

日常茶飯事こそ人生のうちの大事と思っている人間だものですから」

 

この言葉に、しみじみと共感しました。血肉のある言葉を書いている人の文章には、必ず“日常茶飯事”が、どこかに潜んでいるのだと思うのです。だから、私は幼い頃からこれまでずっと、暮らしの本から離れらず、そして暮らしの見える小説や物語を、愛好するのかもしれません。

そういうわけで、日記のタイトルの「日常茶飯本」は、この本からヒントを得てつけたものです。本を読んでも、ついつい読みっぱなしで、ここ数年は日々の慌ただしさに、ただ通り過ぎていました。心が動く本を読んだとき、書き残すことをしておきたいと、この本を読んで思いました。“本の友だち”を、きちんとかたちに残しておけるようにと。

 

最後に、初めて石井桃子さんが翻訳した本である「クマのプーさん」から、素敵な会話を。(プーと、その友だちのコブタの会話です)

 

「プー、きみ、朝おきたときね、まず第一に、どんなこと、かんがえる?」

「けさのごはんはなににしよ? ってことだな。」と、プーがいいました。「コブタ、きみは、どんなこと?」

「ぼくはね、きょうは、どんなすばらしいことがあるかな、ってことだよ。」

プーはかんがえぶかげにうなずきました。

「つまり、おんなじことだね。」と、プーはいいました。

 

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

 

 朝起きたとき、いつも希望に満ちていられるように。「春眠暁を覚えず」という季節にこそ、記しておきます。