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日常茶飯本

“暮らしの本”愛好家の日記

YESのごはん。/『料理=高山なおみ』

 料理=高山なおみ

料理=高山なおみ

 

“作り手の領分”を大事にする、ということ。

著書のすべてを読んでいるわけではないけれど、高山なおみさんの本のなかで、多分いちばん好きな本です。

高山さんは料理家、そして文筆家でもあるので、著作には料理本とエッセイの両方があるのですが、そのふたつが渾然となったような魅力のある一冊で、こういう作りの本には目がありません。

 

この本が出たときの高山さんのインタビューに、こんな言葉がありました。

「料理するのが億劫で、できないことを恥ずかしがっている人。そういう人に向けて、手紙を出すつもりで書きました。楽しいことはほかにもたくさんあるから、料理なんか、べつにつくらなくったっていいんです。でもいつか、ふとつくりたくなった時に開いてもらいたい。(中略)この本は糸綴じだから紙がはずれにくいんです。100年は持つだろうから、子どもや孫の代まで引き継がれていくような、そんな本にしてもらえたらうれしいなあと思います」

RYOURI=NAOMI TAKAYAMA:料理家・高山なおみ「料理とは生々しく、あやうい作業である」|ANTENNA -LIFE-|.fatale|fatale.honeyee.com

 

料理なんか、べつにつくらなくったっていいんです」って、料理を生業とする人には、なかなか言えない言葉だと思いました。でも、これが腹から出た言葉であるというのはわかるし、こういう前提のうえで、それでも自分は「料理家」である、というのが、高山さんが、ほかの料理家の人とは、少し立ち位置が違っている理由でもある気がしました。

 

そして、この『料理=高山なおみ』のなかにも「毎日の料理がおいしすぎるのは、体にも気持ちにも、毒だという気がします」とか、だしの昆布を煮立ててしまっても、でき上がるころにはおいしい…と感心するとか、「レシピは料理家のものじゃなく、生活をしているみんなのもの」といった、読んでいるだけでどきどきするような、(高山さんが言うからさらに)輝きを帯びた言葉がたくさん出てきます。

また、高山さんは本がとても好きだから、この「糸綴じの本」という言葉、そして発想が出てくるのだと感じました。タイトルである『料理=高山なおみというのもすごい(代表作のひとつ『高山なおみの料理』へのセルフアンサーでもあると思うのですが)。つけるのに、相当な覚悟がいる題だなぁと、色々うなってしまう本なのです。

 

と、ここまでつらつらと書きましたが、レシピそのものも本当に素敵です。

前述の「手紙」というのは、読み物部分の文章も勿論のこと、レシピにうめこまれた細やかな言葉にも多くの“手紙的要素”があり、それらの丁寧に書かれた言葉に、何度も胸を打たれました。

たとえば、P16の「野菜の塩もみ」から。

「野菜は塩をふると、浸透圧で水が出てきます。たとえばにんじんなら、細切りにしたのをボウルに入れ、塩をふってから指を開いた手の平でやさしく合わせるのです。にんじんの切り口に、塩をまとわせるような感覚です。」

こういった書き出しから始まり、このあとも、10分でも放っておけば「にんじんが汗をかいようになり」、その甘さと歯ごたえに驚きつつ、野菜と塩の量の割合をどうするかにふれ、和え物やお弁当の彩り、浅漬け風にもできると言及し、塩をするのはタッパーでなくボウルで(そうでないと、うまく塩がまわらないため)と注意し…と、本当に隣りで、高山さんが作り方を教えてくれているような書きぶりなのです。それも、「野菜の塩もみ」という、あるいは一般的に“料理”とも言いにくいような一品について。そこが本書の、特筆すべき点のひとつでもあると思います。

 

こんなふうに書かれたレシピは読んでいるだけで嬉しいし、それもあってか、ここしばらく塩もみ野菜を作るのにはまっています。少し時間のあるときに、にんじん、大根、きゅうり…と、冷蔵庫にある野菜を細切りにしておいて、これにP17にある「甘酸っぱいドレッシング」をかけて、朝昼晩、もりもり食べています。

そのままで食べるほかにも、冷やし中華の具に加えてみたり、ベビーリーフやレタスなど葉もの野菜があれば、この細切り野菜をのっけるだけで、ちょっとしたサラダが一品できるのも有り難いところ。高山なおみさんというと、はじめの頃は各種スパイスを使った無国籍な印象の料理を作る面がよくクローズ・アップされていましたが、同時に、何よりも“暮らし”に、当たり前の顔をして溶け込むような「おかず」っぽい感じの料理もまた、この人の持ち味なのだと思います(『日々ごはん』とか『気ぬけごはん』などの、ほかの著書のタイトルにも、それが表れていますね)。というか、震災以降くらいから特に意識して、より日常のごはんへ近づいていきたいという、高山さんの意志が本書からも感じ取れます。

 

そして、この『料理=高山なおみ』を読んでいると、人それぞれのごはんを肯定する、ということに重きが置かれているのに気づきます。何せ、この本の最後で高山さんは

「今日は何が食べたいか、自分の心と相談しながら、コンビニでじっくりお弁当を選ぶのも料理だと思う。」

とまで言っています。

この言葉には賛否あるかと思いますし、私自身もまた「はて、それは本当に料理なのか?」と思うところもあります。でも、この言葉に込められたメッセージを読み取るべく、よくよく噛み締めてみれば、今まで霞んで見えなかったものが、見えてくるようにも思えたりします。

高山なおみさんは、生きることとか、食べることについて、かなり厳密に、突き詰めて考えている人だから、こういう極論的な言葉を発することが出来るのでしょう。

また、「はじめに」という文章のなかには、ときには買ってきたお惣菜もまじえた素朴なごはんを「おいしい、おいしい」と感謝して食べる、高山さんのお母さんの姿や、「私も小ブタのようにがむしゃらに、どんなものでも口いっぱいに頬張って味わいました」という高山さんの幼い頃が描写されます。

それはとてもおいしそうで、食べるということを善とし、こよなく愛す高山さんの“原点”なのだろうなと感じた一文でした。

 

ほかに、高山なおみさん関連で好きな本を二冊ほど。

諸国空想料理店 (ちくま文庫)

諸国空想料理店 (ちくま文庫)

 

初出は20年前(!)の高山さんの初めての著書。スパイスと異国の香りと、あふれるような熱気が感じられ、ごちゃまぜ感がとても楽しい本です。わりに淡々とした筆致の『日々ごはん』や『ぶじ日記』シリーズなどに比べると、若さがほとばしって感情があふれかえってしまっている感じが、個人的には生っぽくて好きです。

ペルーやネパール、ベトナムなどの旅先でのごはんエッセイや、恋にまつわるレシピ、疲れたときのうどん、すり鉢礼賛などが、ぎゅうぎゅうに詰まった一冊。調味料に関するコラム「油脂のこと」に書かれたバターの使い方、香味油の作り方などにも膝を打ちました。かつて働いていた吉祥寺のレストラン「諸国空想料理店KuuKuu」のオーナーの、高山さん評もすごく面白かったです(動物にたとえるなら女豹!だそうな)。

 

 

二度寝で番茶 (双葉文庫)

二度寝で番茶 (双葉文庫)

 

こちらは脚本家の木皿泉さんの本ですが、冒頭の特別コラボレーション(木皿さんのエッセイ×高山さんの料理)が、とにかく素晴らしいです。りんごの皮むきの最中の写真や、水にひたした青大豆、冷蔵庫のなかのラップのかかった鮭のムニエル…どれも、何てことないのに美しい。

表紙は、ドラマ「すいか」への高山さんのオマージュ。(ドラマのなかに、生活することの愛らしき象徴として、梅干しの種が出てくるのです)気づいたときには、思わず「わっ」と興奮してしまいました。木皿泉さんの対話集の面白さ、世界観を、これ以上ないくらい引き立てている、高山さんの名脇役としての優れたお仕事です。

 

高山なおみさんは、“食べもの”の持つ本来の味や、土くささのようなものを、できるだけ失わないように細心の注意をはらい、可能な限りプリミティブな料理を再現できるレシピを目指しているように思えます。同時に、そのレシピがどのように作られるのかは、あくまでも作り手にゆだね、“食べもの”と双方向で、“生きもの”としての私たちの現実を考えながら、そこに見合った料理というものを、見据えているようにも思います。

四季の移り変わりと、自分や周りの人たちの身体に寄り添いつつ、私もまた日々のごはんを作っていきたいなと思える本たちでした。