“理想のおうち”を見つける方法。/『やかまし村の子どもたち』
「こうして、なにもかも、わたしの棚におさまりました」
昨年、“お片づけ”をはじめたとき、物を手放す前のステップとして必要だったのが「理想のおうちと暮らしを想像する」ということでした。そのイメージの手助けになったのは、私の場合、やはり“物語の中のおうち”。次いで、暮らしまわりの本の写真や文章などでした。
児童文学には素敵なお家や部屋が多々、登場しますが、なかでも真っ先に浮かんだのは『やかまし村の子どもたち』です。
この物語の舞台は北欧・スウェーデン。心ときめくお部屋の描写がどっさり登場し、さすがはIKEA発祥の「インテリアの国」の面目躍如といったところ。
とりわけ好きな一編である「いちばんたのしかった誕生日」のお話には、主人公であるリーサが、“自分だけの部屋”をプレゼントにもらった、7歳の誕生日の心躍る一日が描かれます。
「おとうさんは、魔法で壁紙をはってくれたんです。それは、ちっちゃな、ちっちゃな花束がいちめんにかいてある、すごくかわいい壁紙です。それから、おかあさんは、魔法をつかって、窓のカーテンをつくってくれたんです」
リーサの父さんは、他にも棚やたんす、テーブルと、椅子を3つ手作りしてくれ、母さんは余り布を織りまぜたじゅうたんを(いずれも“魔法”で!)作ってくれます。そしてリーサは「これ、魔法つかいがやってくれたにちがいないわ」と感激します。
この両親からのプレゼントも相当なものですが、ここからのリーサの行動もまた、とってもいい。
これまで兄2人と一緒に使っていた部屋から、宝物である「わたしのお人形」たちをとってきて、その子たちのために、棚にすてきな部屋を作ってあげるのです。
「まずはじめに、赤い布をしいて、じゅうたんにしました。さて、つぎに、おばあさんからクリスマス・プレゼントにもらった小さい、すてきな、お人形用の家具を、そこにすえつけました。つぎには、小さいお人形たちのベッドをおき、それから、小さいお人形たちをいれてあげました。」
そのあと、大きい人形用のベッドを部屋の隅においたり、自分の本や雑誌、箱、大天使のしおり(もも色の着ものをきて、つばさを持った!)などの品々を、すべて棚におさめます。
自分の大切な物を選び出して、そして、それらの置き場所を全て決める。これって、まさに“ときめくお片づけ”ですよね。
部屋を見回すリーサの幸福そうな表情、人形を棚におさめたり、積み重ねた本を意気揚々とに運ぶ姿のイラスト(挿絵は、リンドグレーンといえば!の、イロン・ヴィークランド)も相まって、読む度に嬉しい気持ちになる一編です。
折しも、今月号の「CREA」が児童文学の特集で、やかまし村の子どもたちが暮らす家のモデルとなった、リンドグレーンの父親の生家の写真が掲載されています。
私の手元にある『やかまし村の子供たち』は岩波少年文庫の方ではなく、リンドグレーン作品集4とあるハードカバーの方で、こちらには表紙の見返しに、三軒並んだ北屋敷、中屋敷、南屋敷のイラストが載っています。CREA今月号のP70に、まさしくその家々が!
写真を眺めながら、リーサの可愛い屋根裏部屋や、ブリッタとアンナのおじいさんの、ゆり椅子の置かれた感じの良い部屋、カブラぬきをする畑や、ほし草置き場…などなど、物語に出てくるシーンについて想像を膨らませることができ、感慨深かったです。ほかにも、リンドグレーンの書斎の写真や、リーサの部屋のイラストの紹介(「子どもの物語が始まるベッドいろいろ」)などもあって、とても楽しめる内容でした。
「CREA」の本特集は、いつも編集の方の個人的な思い入れが感じられるというか、とにかくぎゅーっと詰まった読み応えのある内容で、非常にマニアック。
今月号も、好きな作品ベスト50に始まり(アンとジョーの妄想対談つき)、幻の「バタつきパン」に出会えるベーカリーの紹介やら、オカズデザインさんによる料理の再現、アンやトムの家の間取り図、いじわるおばさん図鑑(筆頭はやはり、小公女のミンチン先生!)などなど、永久保存版にふさわしい充実ぶりです。
文藝春秋社が出している女性誌だけあって、文学に精通した面々が編集されているのだと想像しています。2014年9月号の「おいしい読書」の食の本特集もとても面白くて、今でも時々読み返す一冊。おそらく本の特集のときは、女性誌の枠を超えて、老若男女の本好きたちのツボをつく内容を目指しているのでしょうね。
さて、初めに戻って、“理想のおうちを想像すること”についてなのですが、これが簡単そうでいて、当初、私にはかなり難しかったです。なぜなら、片付いていない状態のおうちには、どっさりノイズ(雑音)があるというか、理想の暮らしやおうちのイメージを思い浮かべようにも、それを邪魔する雑多なものたちが、まだまだあるというのが、片づけ前の現状だったわけです。
結論からいえば、片づけ以前にすみずみまで完璧な「理想のおうちと暮らし」を想像することは、かなりハードルが高い(少なくとも、私はそうでした)。自転車のサドルにまたがったこともないのに、自転車に乗れるようにはならない、という感じですね。
“理想の部屋を思い浮かべることと、片づけとは、(厳密にいえば)同時進行でしかできない”
というのが、片づけ祭りを終えてみての個人的な感想です。つまり、理想のおうちを想像することは、スタートであり、かつゴールであるということ。なんだか青い鳥みたいな話ですけれども。
しかし、それが仮のゴールであったとしても、ともかく設定してみないことには、話が(片づけが)始まらないわけで。
となると、まずは、ぼんやりとでも「こうなるといいな」というおうち、暮らし方を思い浮かべて、とりあえず片付けはじめてみる、ということに(特に私のようにせっかちなタイプの場合)落ち着くのだと思います。そしてバランスをとりながら、少しずつ“理想のおうち”を探っていこう…と、こういった自分なりの解釈を経て、私は片付けに着手しました(というか、片づけたい!という熱意が覚めやらぬうちにやりたかったのですね。鉄は熱いうちに打てとな)。
そんな中で、この『やかまし村の子どもたち』など、自分がとても大事にしている本をあらためて読み返してみると、少し見えてくるものがあったように思います。
片づけは、(自分のなかに埋め込まれた)タイムカプセルを発掘する作業に似ているといえます。あるいは彫刻のように、自分のかたちを彫りだしていく行程とも。
私の場合、ヒントをくれたのは、やっぱり本でした。
それが本でも、服でも、靴でも、文房具でも、パソコンでも、裁縫箱でも、お酒でも、器でも、バスケットボールでも、ぬいぐるみでも…永らく大切にしているものは、その人の分身。それらを手がかりとして、ゆっくり紐解いていく時間にこそ、“理想のおうち”を見つけるためのヒントが隠されている気がした、本日の「バック・トゥ・お片づけ」でした。